*--お酒と歴史--*
ウイスキーでも飲みながら、歴史の話をしようかな、と思っています。
飲まなきゃできない新説、珍説など、史実かどうかは気にせずに・・・
大河ドラマが好きな方も、ぜひ、どうぞ。
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【momoさん】20050210 / 20060322 〜
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momo
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皇位簒奪の話が出ると、それが時の権力者であっても、誰かが暗殺のようなことをする。 蘇我入鹿からずっと続いているようです。
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Date: 2007/08/21/00:04:47
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VEM
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確かに、足利義満は皇位簒奪を企んだ将軍、 そして、蘇我入鹿もそうでした。
そして、それは防がれて、万世1系なんですかね?
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Date: 2007/08/27/12:53:35
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momo
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いやぁ、戦前ならいざしらず、万世一系を真剣に論ずる方ももういませんし・・・。
信長がそうしようとして、それを光秀が討った、これも興味あるところです。
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Date: 2007/08/28/00:02:33
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VEM
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でも、、、momoさん
女性天皇是非論は最近ですよ?^^;
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Date: 2007/08/28/18:04:58
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momo
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本を読んで受けた印象に過ぎないのですが、このことに関しては、継体天皇と天武天皇に関心があります。 継体天皇は、お血筋が違うと感じます。 天武天皇は、お父様は大王家のお血筋ではないかも、と感じます。
案外、藤原氏の方が系統がはっきりしているのではないでしょうか。 特に、不比等が天智天皇の子だとすると、脈々とお血筋が続いていることになります。
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Date: 2007/08/30/12:43:21
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VEM
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私の今までの印象では、天武天皇と天智天皇とは異父同母説が一番可能性大
継体もmomoさんに近いですが、、、、
不比等のお子説、、、どうですかね?
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Date: 2007/09/03/12:49:06
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momo
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不比等の直系といえるのは、二条家だけで、他は全て天皇家が入っているそうです。 本当の天下りでしょうネ。
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Date: 2007/09/04/00:10:15
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VEM
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井沢元彦著「天皇になろうとした将軍」に 世阿弥の暗殺説がほのめかされていますね^^ 南朝派の忍者説として、、、 父観阿弥と息子観世元雅は殺された説と、世阿弥も義教に追放処分を受けています、
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Date: 2007/09/18/18:02:22
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momo
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まあ、誰がやったかは別にして、やられた可能性は高いということでしょうね。 ただ、義満は享年50、まだ弱ってはなかったと思いますので、そこがちょっと不思議な感じがします。
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Date: 2007/09/20/12:47:01
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momo
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そして、木満致が蘇我満智だとすると、どちらも百済から来ているので、わかりやすくなります。 王家の方は朝鮮半島経由と言ったほうが正しいでしょう。 高句麗も新羅も百済も扶余族なので、日本の王家もその流れということになります。 木満致のお父さん木羅斤資がサマリア人だとすると、この頃の日本の王家は扶余とサマリアの合体王家ということになります。 サマリア人はユダヤと近しいので、日本にユダヤ伝説が残っているのは、実際に昔来ていたからと思われますし、聖徳太子の背丈が175センチあったというのもうなずけます。 古くからの神社仏閣で残っているところもあるのに、本当は王家の起源がわかっているはずなのに、なかなか明かされないのはこういう事情ではなかろうか、と想像しています。 そうすると乙巳の変も百済系による権力奪取のクーデターとなりわかりやすいように感じます。 この後、百済から人質として、扶余豊璋が大和に来ていますが、人質とはいえ太安万侶の一族多蒋敷の妹を豊璋に娶わせるなど、待遇は賓客扱いであった、百済が滅ぶと再興のため百済に帰っている、そして白村江の戦いになっていきます。 常識では考えられない唐・新羅連合とのこの戦、何故あそこまでしてあげたのかがわかるような気がします。 斉明天皇は百済人だという説もあるようですし。
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Date: 2007/09/17/08:35:21
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Re:仮に日本の王家が百済王家と親戚だったとすると
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VEM
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momoさん 日本の王家は百済だけが親戚でしょうか? 蘇我入鹿は親新羅派でしたし、、、、 天武天皇も親新羅派と見られています。 高句麗も新羅も百済も扶余族との事ですが、 今でも旧百済と旧新羅は反目しているようです。 様々な紆余屈折あったのでしょうが、支配族が朝鮮半島から渡来してきたのは「国譲り」の物語からも明白だと思います。 サマリヤ人の混血説は初めて知りました。確かにユダヤ伝説に繋がっている期待はありますが、DNA鑑定でより裏づけ期待します。
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Date: 2007/09/18/17:54:43
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VEM
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今朝の読売新聞の記事ですが、、、、 今の街割りは豊臣秀吉のものとかで それ以前の遺構調査が進んで、室町時代 以前の博多は今より奥に港が二つ! 一つは大友氏、残りは少弐氏→大内氏が所有の双子の港湾都市だったとか! 宋人街もあったようで、昔の繁栄が偲ばれる記事です。
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Date: 2007/09/07/12:41:04
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momo
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秀吉が博多の町割をした頃、かなり寂れていたようです。だから、秀吉は博多の恩人です。 14世紀、懐良親王が日本国王として明と貿易をしていました。 そのため足利義満は明との貿易が出来ませんでした。 でも、義満は地道に明との貿易の権利をわが物にしていきました。 その結果、博多に銭がこなくなりました。 応仁の乱の頃は相当に荒れていたのではないかと思います。 それを復活させたのが秀吉です。
港は海岸線が今とは違い、かなり南の方だったのです。 これは、江戸の頃もそうで福岡城の西にある大濠公園は博多湾の入江で、海岸線はそのまた南、今の住居表示で草香江の辺りです。
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Date: 2007/09/08/21:06:06
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VEM
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懐良親王が日本国王ですか^^ 後醍醐天皇の子供で、足利方の今川了俊という守護大名と戦った親王ですね^^ (丁度、一昨日から井沢元彦の逆説の日本史の7巻目足利尊氏〜義満を読んでいます。
未だ、義満生きている、、、
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Date: 2007/09/10/13:06:18
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VEM
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Date: 2007/09/14/12:40:53
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momo
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足利幕府がなぜ強くなれなかったか? 案外、全盛を築いたはずの義満にその原因があったのではないでしょうか? 公家の世界に入り込み金をドンドン貯めて、誰も何も云えなくなったけど、心服している人は少なかったのではないかと思います。
赤松といえば、その2代位前は義満の育ての親ですがねぇ。
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Date: 2007/09/16/21:34:30
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VEM
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大化の改新前の中臣鎌足を中心としたサンケイ新聞掲載小説ですが、隋から李世民の唐となった中国が高句麗を狙い、革命の新羅を利用とする動き、反発する百済。 任那の奪い合いも絡む国内の新羅派(蘇我)と百済派の動向が描かれています。 1000年以上たっても東アジアは対して変わっていない・・・・
ただこの時、唐や新羅の変遷に対して、鎌足が万世一系の天皇制を推し進めたのかと思います。
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Date: 2007/07/27/12:40:11
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momo
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こんばんは、VEMさん 中国は昔から権力者は移り変わってきましたが、中国北部と朝鮮は、そして日本もそれはなかった。 この辺に、日本とは、がありそうですね。 というか、いつ発表できるようになるかだと思います。
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Date: 2007/07/30/00:00:41
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VEM
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今朝の連載で、遂に中大兄が天皇制を廃し、 皇帝となろうとした(?)入鹿を倒しました。
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Date: 2007/09/06/08:27:22
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momo
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面白いです。 まさに藤原氏に都合よくできていますね。
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Date: 2007/09/07/00:21:24
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VEM
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確かに都合よく進んでいます。 そして、日本書紀編纂になるのですね。
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Date: 2007/09/07/12:32:51
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VEM
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芥川賞の月だけ購入するのですが、、、、 同級生交換に S42年と同じ年の高校卒業生が! 修猷館高校卒業生4名、伊藤警視総監の記事を読みました。
老舗のバー5件の紹介記事も^^
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Date: 2007/09/03/12:42:56
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momo
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一瞬、月刊現代のことかな、と思ったら、文藝春秋・・・。 たまにしか、買わない私は、まだ、見ていません。 明日、買います。
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Date: 2007/09/04/00:06:33
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